easygoing

やってらんねえな!

消されなかった過去の記憶

 何かを記録しようと思ったことはあるだろうか。理由や媒体は問わない。ただ一つ条件を出すなら、それは他人から強制されるのではなく、自分から思い立ったことかどうかである。

 

 早々に私の話をすると、ある。何度もある。読書記録、鑑賞記録、チケット保存、まあ多岐に渡る。ただ残念ながら、これは私自身がまめな性格をしている証左ではない。
 おれは禁煙のプロだ、なにせ禁煙に何度も成功してるんだからな…などとのたまっているようなもので悲しいかな、私は大抵の記録存在を3日から1ヶ月で忘れる。思えば昔から記録、ことに日記をつけるのはすこぶるへたくそだった。無論義務だとしてもその飽きっぽさは発揮され、夏休みの一行日記は気づけば紙を丸ごとなくし、最終週になって半泣きでありもしない真実虚偽入り交じった日々を綴るはめになっていたものだ。数々の気に入りのノートを開き、数ページでだめにしてきた残骸が歩いてきた道筋にいくつも転がっている…

 

 

 

 

 

 

 

 

 ああもうやめだやめだ!!!!書いていて全身かゆくなってきた。
 お盆も始まったことだし朝から献血に行って展示会に行って帰宅してから少々部屋でも片付けようと本棚に触ったのが間違いだった。普段の休日は24時間寝てるくせして突然活動的になるな。大学生の間空けていた部屋は高校の頃からほとんど変わってないせいで未だに机の真横に普通に物理の参考書とかが鎮座しとるんだわ。捨てるなりしまうなりしたいところだがあいにくしまう場所すらぼくの部屋にはないんで修学旅行の文集とかもスッと転がってるわけがあるんだよこれが。

 

 まあなんだかんだ自分の文章および作ったものに関しては褒めはせずとも嫌いではないというか、イタさ6割・わかり3割・記憶ブースト1割で楽しめるので読みたくなっちゃったのだけど直筆原稿だったからイタさ8割でダメージを負った上に一応真面目なやつだったせいで変に堅くて、せめてもうちょっと読みやすくなんねえかな~と思って書き直してみたけどやっぱり原文のイメージに引っ張られてだめだった残骸があれです なにせこの後にレイ・ブラッドベリ引用してるからな その頃たまたま読んで、本当に面白かったから引用しただけだったがいかんせん年相応の文章でどうも背伸び感が否めない でもがんばって推敲したもんな高2のおれちゃんは…そして字数縛りもなく、何一つ成長を遂げられてもいない現在の私はその文にイタさとわかりを感じる以外出来ることはない…

 


 そう、わかりである。突然話の舵を切るけれど、すべては”わかり”に起因し、突如こんなところを立ち上げた理由だ。
 粗雑なたちのくせに記録もとい日記をつけたがるのはひとえに「一定期間おいた自分の文章は意外と新鮮味があるし何より100%思想が合う」からだ。書いたことを忘れることで自分に非常に近い他人の文章を読むことが出来るというクソみたいな鶏頭を使った牛の咀嚼方法みたいな遊びだが、人の時間を奪わずに自分の精神安寧が保たれるので全く問題ない!ごあんしんです

 ここ数年はTwitterでそれをやっていたのだけどちょっと180文字では物足りないというか、結局エッセンスしか詰められないので言い回しで遊びきれないのが不便だなあと思っていたところで気づいてしまった。考えてみたら自分の書いた凝った長文って大学入ってからあんまりなくない?もしかしてこれ意図的に書こうとしないと自分のだだすべり新規文章って一生読めないのでは?

 物書きやライターではないかつそのような趣味もないので、おそらく強制的に書こうとしないともう、おれのおれによる私のためのカス文章はこの世には生産されないと思う、たぶん。自分にしか需要がなく自分にしか書けない文章は確かに存在する こんなもんチラ裏ってか公開でやるなよってのは自分でも思うのだけど多少人目につく可能性がないと工夫を凝らしきれない己の弱さなので存分に恥じつつ開き直っていく 発表会がないと練習をしないのはなににつけても多いことでしょう そういうことだよ そういうことにしてください

 

 ちゃんとプロットと起承転結を考えていたのにまったくガン無視でここまでキーボードぶっ叩いてしまった すでに先が思いやられるし支離滅裂さはひどくなってるな… ここもまた数々の媒体と同じように墓標になっていくかは現時点で不明だけれど月1くらいでは書きたい 盆休み中にもう1本くらいは欲しい がんばれ